約束のネバーランド 第180話 きみのすべて 感想

今回のエピソード180話を読んで思い浮かんだのは、何年か前に新聞で読んだ、ホロコーストを生き延びたユダヤ人について書かれた記事だ。

第二次大戦中にヒトラーユダヤ人虐殺を生き延びて、米国に亡命後、家族もできて平穏に生きてきた老婦人のエピソードが印象的だった。認知症になり多くの時間の記憶をなくした彼女に残ったのは、家族を殺され迫害を受けた少女の頃の記憶。恐怖と悲しみの生活を、何十年も経ってから再び生きなければならない。そんな苦しみあるんだろうか、彼女は残りの人生、苦しみの世界を生きていくしかないんだろうかと思った覚えがある。

 

 

エマが、食用児全員で人間の世界に渡るために代償にしたのは、「エマのかぞく」。

「これまでのきおくもこのさきのつながりもなにもかも」とエマが約束した相手は言っているから、この先レイ達が果たしてエマを探し出せるのか、探し出したとしても、新しい関係を築くことができるのか、どうなるのか全くわからない。

 

エマは、家族の記憶は失っても、家族との絆があった頃のあたたかい幸福な感覚だけは残っているのか、心が締め付けられると涙を流す。感覚が残っているというより、ムジカのペンダントの力がエマの心に働きかけるんだろうか。

もしそうなら、これまでの記憶が戻ることはさすがにないだろうけど、「このさきのつながり」の方はまだ諦めるのは早いのかなあ。どうなんだろう。

 

 

鬼のいる世界での戦いには生き残り、でも記憶を奪われるという形で家族をすべて失ったエマと、戦争という暴力で家族も友も故郷もすべてを失った老人。老人の故郷は、立ち入り禁止のデンジャーゾーンになってしまったようだ。(10年に及ぶ大戦があったけど大きな汚染はないと前話に書かれていた。老人の村は世界に残る小さな汚染地域のひとつなんだろう。)

記憶を抱いて生きる老人と、記憶を失い今日を生きる子ども。記憶もそれまでの自分も、失ったものを求めるのではなく、明日に向かって生き始めたエマは、今はもうエマという名前ではないのかもしれないけど、エマとしか言いようがない。エマはエマだなあ。

 

来週は「超クライマックス」。楽しみです。