久々「ナルト」を読んで思ったこと

親になったサスケのことを考える時、サスケが今のサラダよりも幼かった時に殺されたサスケの父フガクと母のミコトのことを思い出す。
NARUTO-ナルト -には、重い過去を背負ったキャラが数多く登場するけど、サスケの過去はその中でも結構ハードな部類に属すると思う。

ナルト完結の時点で、そのサスケのハードな過去、うちは一族殲滅の真相をどれほどの人たちが知っていたのかよくわからない。オビトに真相を聞かされたナルト、カカシ、ヤマトの3人が知っていたのは確実で、その他には大蛇丸も知っていたはず。復活した大蛇丸とサスケに同行して、歴代火影の話を聞いていた水月と重吾も大まかなところは理解していたんじゃないかと思う。
その以外ではどれくらいの人たちが真相を知っていたんだろう。
大戦が終わり、サスケが贖罪の旅に出た頃はどうだったんだろう。サスケ自身はうちは一族抹殺の真相が公になることは望まなかったろうと思うけど。


今は、ナルト世代はもう親となり、その子供たちの物語が始まっている。岸本先生の作品である「外伝」では、サスケの子供であるサラダですら、サスケのことをよく知らないと描かれていた。
自分の祖父母が叔父に殺されたという事実はサラダにとってはショックだろうと思うけど、それを命じたのが木ノ葉の里だという事実はより衝撃が強いかもしれない。
と言って最後のうちはになるかもしれないサラダが、一生うちは事件の真相を知らないままではいられないと思う。

サスケは、復活した大蛇丸に、「子供ではいられない」と言い、「すべてを知り自分で考え答えを出し 己の意志と眼で成すべきことを見据えたい」と言った。サスケが歴代火影たちに聞きたかったのは、里の興りからのありのままの木ノ葉の里とうちは一族の姿、たとえそれがうちはの者であるサスケにとって嬉しくない事実だとしても、だ。

サスケは、過去を自分にとって好ましい姿、都合の良い姿に捻じ曲げることなく、たとえ痛みを伴うものであってもそのままの姿で受け止めることができる人だと思う。
でも多分最初からそうだったというわけではなく、うちは盲信時代もあった。だからこそ、もし、今、サラダがうちはの真相を知らないとすれば、うちはサイド、里サイドのどちらのサイドにも偏ることなく、うちは一族の滅亡の真実を受け止めることができるほど十分に大人になるまでは、サスケもサクラもサラダに真相を話すことはないような気がする。(そもそもサクラがどの程度まで知ってるのかもよくわからない。もう少し注意深く「ナルト」を読めばいいのかもしれないけど)

 

サクラやサラダがうちはの真相を知っていようがいまいが、物語の大筋には関係ないんだろうけど、どうしても気になってしまう。
サスケは個人的な感情の問題については、多分なんでも一人で抱え込む傾向のある人だと思う。
サスケにとっては、サクラやサラダがうちはの真相を知っていようがいまいが、そばにいてくれるだけで、多分今も心の奥底に抱えているだろう深い悲しみ(父母の死に対してサスケが十分に悲しむことができたのか未だによくわからない)が癒されるんだろうとは思うけど。