NARUTOーナルトー  チヨバアについて(3)

尾獣は他里に対する抑止力だから、決して手放してはいけない。生まれたての我愛羅に一尾を憑依させた時、人柱力として人生を負わせることにチヨバアは幾らかでも罪の意識を感じただろうか。
里の安全を確かなものにするという目的の前には、一人の人間の人生など大した問題ではないと考えただろうか。
里の平和を守るために、柱間は親友を殺し、ダンゾウはうちはを滅ぼし、チヨバア我愛羅を人柱力にした。里を守るという正義の前では、個人の犠牲はやむをえないというのが忍の世界の常識だとしたら、この時のチヨバアは、一人の人間の人生を変えてしまうかもしれないことに対して畏れなどこれぽっちも感じていなかったかもしれない。

我愛羅奪還の途上、里の枠も、形ばかりの同盟関係も超えて、一人の仲間を助けに向かうナルトの必死な姿に、チヨバアは「ワシのしてきたとこは、、、、間違いばかりだったのかもしれん、、、その上老いぼれてあきらめ癖までついた、、」と言った。
この言葉の前には、我愛羅に守鶴を憑依させたのは自分だと言ってるから、ここでいう「間違い」はそのことも指しているんだろうけど、それだけではないんだろう。

孫であるサソリを里抜けさせてしまったこと、それに対して何もできぬまま20年以上が経ってしまったこと。そんなことも含めての「間違いばかり」なんだと思う。

それまでの人生でプライドを持って成し遂げてきた自分の仕事が誤りだったと認めることは、もうその仕事をやり直すための時間がない、人生の終わりが近づけば近づくほど、そう簡単にはできないんじゃないかと思う。
引退して里のことからは手を引いて、どれだけの年月釣り糸を垂れる生活をしてきたのかわからないけど、自分のしてきた事を振り返る時間はたっぷりあったはず。