イラク日報の記事を読んで

今朝の東京新聞の一面は、発見されたイラク日報に関する記事で、3面の関連記事の見出しは、【「ない」日報 続々発見】。

防衛省自衛隊の日報関係の最近の記事を読んでいて、ものすごく違和感を覚えるのは、日報ってのはそもそも「発見」されなきゃならないような種類の記録なのか?ということだ。部隊の日々の活動の記録が日報なんだとしたら、その後の部隊の活動にとても役立つ資料になるはずだと思うんだけど。それが捜索しなければみつからないような状態だということ、きちんと整理された状態で保存されていないということは、ちょっとよく意味がわからないという違和感。

記事によれば、今回の公表分には、2004年の陸上自衛隊宿営地に迫撃砲の攻撃やロケット弾が着弾したことが判明している数日分などは含まれていなかったという。
その分の日報が存在してるのかどうかよくわからない。
イラクに派遣された元隊員の「隠す必要のない文書」という言葉も載っていた。本当にそう思う。

当時の小泉首相の「非戦闘地域」という説明と矛盾するから防衛省で忖度したのだという解説もあるみたいだけど、忖度なんだか単にずさんな管理だったのか、これも「うみを出し切る」つもりがあるんだろうか。

【「『あ、着弾音!』と退避施設に身を隠す。まさに、こんな6ヶ月間だった」】という隊員の言葉も綴られていたという。
現場で命を張っている隊員の言葉を国民から隠すようなことは、自衛隊員をあまりにも軽んじる扱いじゃあないかと思う。
もしも政権への忖度が働いていたんだとしたら、忖度する方もする方だけど、させる方もさせる方だ。
違憲議論の余地をなくす責任」を語るより前に、ほんとまず足元から見直すべきだと思うんだけど。