小型核兵器開発の記事を読んで

今日の朝刊(東京新聞)に、昨年「核兵器廃絶国際キャンペーン」が受賞したノーベル平和賞を取材した記者の論説が載っていた。その中でカナダ在住の被爆者、サーロー節子さんの受賞演説について触れていた。【「人々は生きながら焼かれ、腹から内臓を出し、眼球を手に持ち、溶けた皮膚をたらしながら歩いていた」。こんな地獄に道理はない。】とあった。
記者は、1970年に発効した核拡散防止条約は、現在の混沌とした世界情勢の中本来の機能を果たせなくなっているという。平和賞を受賞した【ICANが推進する核兵器禁止条約が発効すれば、核兵器は違法となり、核保有国に対し、世界から一層厳しい目が注がれることになる。ノーベル賞選考委員会は、かつての戦勝国に「核を手放す勇気を持て」と促し、日本の被爆者が世界に発信する場を設けた。】
ICANは、核兵器を廃絶することこそ、人類が取るべき唯一の理性的な選択肢だという。もっともだと思う。核爆弾発射ボタンを机の上に置いてるのは、神様じゃない。間違いを犯す可能性がものすごくたくさんある人間だということを考えれば、余計にそれはもっともだと思う。

 

同じ朝刊に、【米、小型核の開発検討】という記事が載っていた。トランプ政権が2月に発表する核戦略の中期指針の概要についての記事だ。【中国やロシア、北朝鮮に対する圧倒的な優位性を確保するため、局地攻撃を想定した低爆発力の小型核の開発を検討、核兵器の役割を拡大し、核攻撃の抑止・反撃に限定しない方針を盛り込む。】のだという。使えない抑止力ではなく、使える核兵器の開発・配備を検討するということみだいだ。
オバマ政権は核使用の条件を、米国と同盟国の「死活的な利益を守るための極限の状況」に限定。トランプ政権は、「核攻撃の抑止や反撃だけでなく、基幹インフラへのサイバー攻撃などに対しても核使用を排除しない方向」だという。
【爆発の威力を抑えた小型核は、非戦闘員の巻き添えを極力防ぐ狙いがある。】のだという。巻き添えを極力防ぐということは、「生きながら焼かれ、腹から内臓を出し、眼球を手に持ち、溶けた皮膚をたらしながら歩」く人の数をできるだけ少なくする、ということなんだろうか。
使用条件のハードルも下げて、爆発威力も下げて非戦闘員の犠牲を極力抑える小型核を開発する。そこまでして、核兵器を使える兵器にしたら、その使用をためらわせる理由はどれほど残るんだろう。


使える核兵器を開発しようという核大国に、核を手放す日がいつか来るんだろうか。
ICANの記事は、核兵器は【世界人類共通の脅威だと声を発していけるのは、これからも私たち、日本をおいて他にない。】と締めくくられていた。
米国の核の傘のもと(これから先それがいつまで有効なのかわからないけど)で、核の傘の下にいるということさえ考えずにこれまで暮らしてきた我が身を振り返れば、「日本をおいて他にない」という日本に自分は含まれてないような気もする。でも、原爆で一瞬にして焼かれて死んでいった子供たちのことを思うと、核廃絶を諦めることは許されないように感じる。