人のことは非難できない

昨日の東京新聞の「本音のコラム」欄で、法政大の竹田茂夫教授が、1970年代初めにペンタゴンペーパーズをリークしたエルズバーグ氏の著書を紹介する形で、「米国の歴代政権は広島・長崎以降、核兵器の使用や脅しを躊躇したことはなく、核戦略は米国による第一打への反撃をどう防ぐかという観点から立案されたという。同書には25例の核の脅しが挙げられているが、ニクソン政権が計画した北ベトナムへの核攻撃が米国内の百万人の反戦デモでかろうじて回避された例には背筋が凍る。 米政権には核のタブーなどないことを肝に銘じるべきだ。」と書いていた。

「核なき世界」を訴えてノーベル賞を受賞したオバマ大統領が、旧式の核兵器は削減するけど、新型の小型で命中精度を上げたような核兵器には多額の予算をかけて開発を続けるという報道を以前に読んだ時、「使える核兵器」という表現がちょっと衝撃的だったのを覚えてる。

北朝鮮との緊張が解けてない状況で、米朝の戦争になれば核戦争になる可能性も言われてるけど、数百万人が死ぬという予測もある中で戦争なんて選択肢を取れるはずがないと心のどこかでは信じてるような気がする。でもそれは、あまりに甘い思い込みという気もする。核のタブーがない中で、「使える核兵器」があるとしたら、それはとても恐ろしい。
アメリカ国民を守るためには、あちら側でどれほど死のうが止むをえない犠牲だと、どれほどのアメリカ人が考えてるんだろう。


エルサレムの大使館移転問題で、中東が今以上に騒がしくなれば、2正面作戦をとる余裕はアメリカにはないから、北朝鮮との衝突は遠のくと、佐藤優さんが書いていたけど、もしそうなればとりあえず日本が戦場にはならないからよかったと、瞬間思ってしまった。