BORUTO ーボルトーNARUTO NEXT GENERATIONS  サラダ編の感想 

「カグヤをも脅かす存在」の出現する可能性について、他里の影たちに知らせる場面の設定が、原作とアニメでは異なる。

原作では、五影会談でサスケが自ら報告、今後の調査については極秘任務とすることが五影の間で了承される。極めてシンプルなシーンだ。うちはシンの事件は、その会談の後に起こる。

アニメでは、まずサスケとナルト2人のシーンで、サスケの調査が極秘任務であることが2人の了解事項となる。その後、うちはシンの事件があり、すべてが解決した後に、五影会談が開かれ、「カグヤをも脅かす存在」について木ノ葉で極秘に調査していたことが、他里の影たちに報告される。

原作・アニメとも、「カグヤをも脅かす存在」についてサスケが調べていたこと、五影会談で他里の影たちに報告されたこと、今後の調査も極秘任務として扱うこと、以上の3点については共通している。


アニメでは、「カグヤをも脅かす存在」についての説明は、ナルトがしていた。ナルトは、白ゼツ兵団の矛盾についてはっきりと自分が気付いたとも言ってないし、サスケが気付いたとも言っていない。誰が調査していたのかということについては、我愛羅、雷影の言葉からサスケも調査にかかわっているということは、はっきりと描写されている。
ただアニメでは、誰が気付き誰が調査し誰が仮説を導き出したかについては曖昧にされてると言っていいと思う。さらに「ダンゾウやうちはシンの残した資料」という要素も新たに付け加えていることも合わせると、個人の調査というよりはどちらかというと木ノ葉の里としての調査プロジェクトで、現場の調査を行なっているのがサスケ、という印象を受ける。

原作があるアニメといえ、何から何まですべて原作通りにやるべきだとは思わないし、「カグヤをも脅かす存在」の可能性について、また、サスケの任務(任務と言い切っているから、この段階では木ノ葉の里に属する忍になってる可能性もあるんだけど)
が極秘であるということについて示しさえすれば、あとは些細なことだから設定など変えても大して影響はないのかもしれない。
『ナルト』ではなく『ボルト』の物語でもあることだし、この五影会談は『ボルト』世界の木ノ葉の里、木ノ葉の組織を描写するシーンであったのかもしれない。


原作では、五影会談にサクラも同席している点も、アニメとは異なる。
外伝原作では、カグヤが白ゼツ兵団を準備していたことについて「そこがずっと気になりカグヤの後をオレなりに調べていた」というサスケのセリフがある。これは、本編原作699話の「少し気になってることこともあるしな」というサスケのセリフを受けているのだと思う。(実は、「少し気なってる」ことは白ゼツ兵団のことではなかったってことなら、五影会談のサスケの描写はアニメの通りでも特にこだわりはないんだけど。)

ー「そこがずっと気になりオレなりに調べていた」ー

原作の五影会談では、調査・仮説までサスケが説明している。ただ仮説に至るまでのサスケの調査が、サスケ個人によるものなのか、木ノ葉の任務として行われていたことなのかについて、原作にこれといった描写はない。
はっきり描かれているのは、調査のきっかけとなったのはサスケの抱いた疑問だということ。ある時点まではサスケが一人で調査を進めていたこと(「オレなりに」という言葉からそう解釈できると思う)。少なくても五影会談以降は、サスケの行動が任務として認識されてること。(火影室のシカマルとの会話で、ナルトが「サスケの任務は8割方が、、云々」というシーンは、サスケの行動が任務である事を表しているけど、これは五影会談の後の出来事だと思う)
五影会談以前から任務であったのか、サスケ個人の調査であったのかは描かれてない(多分)。

個人的に気になって調べているうちに、過去の問題として完了した話ではなく未来の問題につながりそうだと気付いたとしたら、その時点でサスケ個人の手から離れ、木ノ葉の任務としての調査になっていったかもしれない。そうではなくあくまでこの仮説までは、組織とは離れた立場の調査でサスケが一人でたどり着いたのかもしれない。
そもそもサスケの現在の立ち位置も、よくわからない。木ノ葉の里に属する忍として、火影の指揮下にあるのか(そうだとすれば顧問的な?位置かもしれないけど)、どこの組織にも属していないのか(まだ里抜けの状態のままなのかもしれない)。

木ノ葉の里に対して、恨みだとか憎しみだとか、そういった負の感情はもうサスケの中にはないと思う。木ノ葉の里は、自分が生まれて少年時代までを過ごした故郷であり、今は自分の家族が待つ場所でもある。そうだとすれば、サスケは木ノ葉の里の忍として、平和を維持するために世界中を旅して回っていると言えるのか。作中では特に断言されてはいないと思うけど、もしかしたらそうかもしれない。ただ、自分としてはそう言い切るには少し抵抗がある。

憎しみも恨みも、もうないだろうけど、それでも、自らに刃向かおうとする一族を、自らの手を汚すことなく、同じ一族の年若の少年一人に皆殺しさせるという非道をなした木ノ葉の里に対して、サスケは今も複雑な思いを抱いているのではないか。二代目火影によるうちはは愛情深い一族だという証言は別にしても、やはり、一族に対する誇りでいっぱいで、まだまだ親の愛情に包まれていたかっただろう幼い頃に突然その全てを奪われた心の傷は、大人になったからといってそう簡単に消えるものではないと思う。

何れにしても、そういうサスケの思いを別にしても、木ノ葉の里における、戻ってきた抜け忍の処遇についてもはっきりしてないから、実際よくわからない。
ただ、自分個人としては希望的観測も含めて、イタチの夢見た世界の平和、誰の犠牲にも基づかない平和な世界を、忍の世界のどの組織にも属することなく(協力はするけど。それは一人じゃできないことがあると知ったから)、サスケは影から支えているのではないかと思う。

ー「少し気になってることもあるしな」ー

人が外界から得る情報は、視覚から得るものが8割ほどを占めると言う。だとすれば、写輪眼という特有の眼を持ち、持たぬものには見えない事物を見ているサスケは、それを持たぬものたちとは、世界の捉え方が少し異なってるような気がする。(うちは一族の繋がりの強さ、内へ向かう求心力の強さも、もしかしたら写輪眼による世界の捉え方に関係してるかもしれない)
この言葉が意味するものが、カグヤが準備していた白ゼツ兵団の矛盾だとすれば、写輪眼を持たぬ人たちとは異なる見え方の世界を見ているが故に気づくことができたのかもしれない。
同時に、大戦が終わって、まだ人々が先のことを見通す余裕など多分なかったろうあの段階で、早くも気づくことができたのは、サスケが組織に属さない自由な立場にいたからということもあると思う。

何れにしても「少し気なってることもあるしな」という一言には、あんな戦いのすぐ後で、戦いを冷静にふりかえり敵の矛盾に気づくことができる、サスケの忍としてのセンスの高さが表されているように思う。


五影会談で、「カグヤをも脅かす存在」の可能性を影たちに説明するサスケの描写で、大戦後贖罪の旅に発つシーンから長い時間をかけて一人で調査をするサスケまでも想像することができた。

アニメでの、組織としての調査であるかのような描写は、わかりやすいし『ボルト』の物語としてのつながりは整っているんだけど、原作で感じることができたサスケが過ごしてきた時間の重さが、バッサリ切られてしまったように感じられて、とても残念だった。