BORUTO ーボルトーNARUTO NEXT GENERATIONS 第21話 「サスケとサラダ」 感想(3)

原作と異なるシーンといえば、シズネと桜の会話のシーンもかなりセリフが追加されてる。
原作ではわずか4コマ、サラダが鷹の写真を持ってサスケに会いに向かったという情報をシズネがサクラに伝えるだけのシーンが、アニメではそれにプラスして、母親になった現在のサクラの、サスケとサラダの関わり方についての思いを語るセリフが追加されていた。


「サラダは真っ直ぐな子です。サスケくんが一時期は木ノ葉の敵だったなんて知ったら」


サスケくんサスケくんと、サスケ一筋だったサクラがアニメのこのシーンでは母親としての面を前面に出してるようだった。原作を読んだ時に受けた印象より、母親としてのサクラがより強調されているような気もする。
サスケの方はほぼ原作と変わらない印象なんだけど。


ここで、サクラがあまりにサラッと、サスケのことを「一時期は木ノ葉の敵だった」なんていうから、サクラは「イタチの真実」について何も知らされてないんだろうと思ったんだけど、どうなんだろう。原作を読む限り、うちは一族の滅亡事件の真相についてこの時点で知っているのは、サスケ、ナルト、カカシ、ヤマト、生きていればホムラとコハル。ここまでは、知っていることが作中で明らかにされている。大蛇丸も何か知ってそうだけど、はっきりした描写はなかったと思う。

うちは一族の真相は、どこからか自然ともれてくるといった種類の秘密ではないし、ホムラとコハルが話すなんてのは論外として、サスケ・ナルト・カカシ・ヤマトの誰かから聞かない限り、サクラが知ることはないんだろうと思う。
カカシ、ヤマトがサクラに話すことは考えにくいし、ナルトはイタチの望みを知ってる。としたら、残るはサスケなんだけど。

イタチは、”名誉あるうちは”を傷付けたくないという思いだったみたいだけど、それはサスケにしても同じ思いなんだろうと思う。
大切な人に、自分を理解してもらいたいという思いはサスケにもあると思うけど、自分のそういう思いよりも、うちはとイタチの方を優先しそうだ。(自分を理解してもらいたいという自然な感情を、完全に押さえ込んでしまうのは、イタチも同じだ。よく似た兄弟だと思う。)
何より、これ以上サクラを泣かせるようなことはしそうもない気がする。里抜け以来、サスケはずっとサクラを泣かせてきた。里にいた時も、波の国に始まって以後何回もサクラはサスケのために涙を流してきたけど、里抜けの時と、最後の戦いの前の涙は、サクラを幻術にかけて遮りたくなるほどに(多分)サスケにとっては、心を揺さぶるものだったんだと思う。
うちはの真相やイタチの思いをサクラが知ったら、サスケのために泣かないはずがない。失った一族、家族のことは、思い出すたび考えるたび、もう生傷のような鋭い痛みではないのかもしれないけど、サスケにとっては痛みがなくなることはないんだと思う。
サクラがもし”真実”を知ったら、その痛みを少しでも自分で背負おうとする。多分サスケはそう思うだろう。だとすればサスケが、サクラに話すことはないんだろうと思う。

サスケにしてみれば、サクラが知っていようがいまいが、サクラと共に生きていくことが意味のあることなのかもしれない。で、サスケにとってそれは、物理的に共にいるということではないんだろうなあ。サクラとサラダにしたら、サスケが家に帰ってきてくれることが、とても大切なことだと思うけど。

そう思うと、アニメのこのシーンのサクラの言葉には結構違和感が残ってしまう。母親として子供が受けるかもしれない精神的な衝撃を心配する気持ちもわかるけど、木ノ葉の外にいた時のサスケを”木ノ葉の敵”としてしか見てないような言い方には、戸惑いを感じる。