「ナルト」のサスケと「訪問者」のオスカー(1)

「オレは復讐者だ」というサスケのことを考えると、萩尾望都の「訪問者」のラスト近くのワンシーンを思い出す。
どこをどう探しても共通点は無さそうな2作品なんだけど、なぜか思い出してしまう。

「訪問者」は、萩尾望都の代表作の一つ「トーマの心臓」に登場するオスカーを主人公にした100ページほどの少女漫画。
妻を射殺したグスタフとその9歳の息子オスカーの1年半余りの逃亡記、と説明すると身も蓋も無いけど、ドイツを舞台にした、売れない写真家の父と9歳の息子のロードムービー(ムービーじゃ無いけど)のような作品だ。

グスタフさんは警察に追われて逃亡してるわけじゃない。作者があとがきに書いてるように、自分の良心に追われ追われて逃げ続けている。
オスカーは聡明な子供で、グスタフが自分の血の繋がった父親ではないことに気づいてるし、ママを殺したのがグスタフだということにも気づいている。グスタフさんもオスカーが気づいてることに気づいているはずなんだけど、二人ともお互い気づいていることを決して口に出さずに旅を続ける。口に出した途端に、この長い休暇のような旅が多分終わるだろうことを、二人とも心のどこかで感じてたみたいだ。

物語の序盤、旅に出る前、すでにとうの以前から壊れかけていた家庭の中で、時に居場所のなさを感じていたオスカーに、グスタフさんが話して聞かせたのが「雪の上を歩いて裁きを下しに人の家を訪れる神様」の話。神様は子供のいる家は決して訪れない。
物語の終盤、グスタフさんとオスカーの別れがやってくるクライマックスで、この神様の話が効果的に使われるんだけど、復讐者サスケのことを考えてる時に思い浮かぶのがそのシーンなんですね。

逃亡者であるグスタフにとって、裁きにやってくる神様は妻と同じ顔をした息子だったということをオスカーが知る場面。父親の愛情に常に不安を感じながら旅を続けてきたオスカーが、ずっとなりたかったものは、家の中の子供だった。家に子供がいれば神さまは裁きのためにその家を訪れることはない。なのに、グスタフにとってオスカーは家の中にいる子供ではなく、裁きに訪れる神様の方だった。


「ナルト」の物語で、サスケのうちは一族は、兄イタチに皆殺しにされる。作中にこの時のサスケの年齢を直接描いてる表現はないんだけど、サスケ9歳の頃の事件らしい。里の中でこの事件がどういう位置付けとされているのか、もう一つわからないんだけど、イタチ自体はビンゴブックに特S級犯罪者として載ってる「木ノ葉の歴史上まれにみる大悪人」とされてるみたいだから、国際手配になってる犯罪者としての扱いを受けていたことは確かなんだと思う。
ただ、木ノ葉の里が特別な班を編成して優先事項としてイタチを追わせているというような描写はなかったと思う。うちは殺しは、里の最上層部の姪による極秘任務だったから、表向き公式にはイタチ個人の犯罪として扱うことは当然のことだったんだろう。

とはいえ、穢土転生した3代目も認めたように、イタチには暁のことを探るスパイとしての役割も秘密裏に担わせていたわけだし、里、とりわけ3代目がうちは一族殺しの裁きを下すためにイタチを特別に追わせるというような行動に出たとは思えない。そしてそのことを里の人々が問題視しているような描写もされていない。

まあ里がどういう行動に出たとしても、サスケはそれにはかかわりなく、復讐者としてイタチを追うことにすべてをかけたんだろうけど。