久々に萩尾望都の「小鳥の巣」を読み返して

アメリカの軍事力が圧倒的すぎるから、たとえ限定的な攻撃であっても、それを受けた北朝鮮は全力で反撃してくるから、全面戦争になるリスクがあるという記事を読んだ。そのリスクが数十年アメリカの政策を縛ってきたけれど、予測不可能なトランプ政権になって少し変わってきたかもしれないかなあ?って感じのニュアンスだった。
4月の危機(?)の時と比べても報道が多いわけでもないんだけど、個人的には今回の方がなんとなく怖い。実際のところ北朝鮮とアメリカや韓国がどの程度の緊張状態にあるのかなんてわかるはずもないし、できることといえば戦争になることだけは避けて欲しいと心の底から思うことだけなんだけど。


なんとなく不安な気分ではいるけれど、天気はいいし冷房の効いた部屋で昼寝をする犬を見ていると、すべて世はこともなしだなあと思った。

すべて世はこともなし。
このフレーズは、イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの「春の朝」(上田敏訳)の一節で、萩尾望都の「ポーの一族」という連作漫画の1編「小鳥の巣」で初めて知った。
「時は春、日は朝(あした)、朝は7時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、蝸牛枝に這ひ、神そらに知ろしめす。すべて世は事もなし。」
ポーの一族」は、永遠に歳をとらないバンパイアの少年エドガーの物語で、「小鳥の巣」は、1959年の西ドイツのギムナジウムを舞台に、東ドイツから亡命してきた少年を軸にエドガーとアラン二人のバンパイアの学校生活が見られる、「ポーの一族」の中でもちょっと雰囲気の変わったお話になってる。
この詩は、学校の創立祭で上級生が暗唱するという場面で使われていた。この場面のすぐ後で、2年前に水死した子供の死体が川から上がったという知らせに学校中が騒然となり創立祭が中止になる場面につながるんだけど、「神そらに知ろしめす。すべて世はこともなし。」の平穏さから、子供の水死体(当然絵で描かれることはないんだけど、この言葉自体がショッキングな響きに感じた)で騒然となる場面への転換が印象的で、このフレーズが頭に残ったような気がする。

このお話の背景になっている1959年といえば東西冷戦の真っ只中で、1962年にはキューバ危機も勃発。核戦争の恐怖に覆われていた時代なのかもしれない。

当時はまだ生まれてなかったし、時代の雰囲気は想像するしかないんだけど、とんでもない危機と隣り合わせで続いてる日常を生きてる感じだったのかな。