”総理の指示”と”総理のお考え”の違いは相当大きいみたいだ

報道ステーションで、前川前事務次官のインタビューを見た。

官僚の時は面従腹背をモットーとしてやってきたけど、今は面背腹背だと言いながら、本当に言葉通り表現の自由を100パーセント謳歌してるというような、軽やかな口調で話してた。
何かを隠すために言葉を選ばなくてはならないってことがないんだろうなあ、と思うほどサバサバした話しぶりだった。

印象的だったのは、官僚として38年過ごした間に官邸の力が徐々に強くなってきた、特に小泉政権の頃から強くなってきたという話だ。小泉政権のときに、総理の指示、という言葉が出てきて(流行りだして、というような表現だったと思う)、それがだんだん強くなってきたという。ただ小泉政権の時は、総理の指示といえば、それは総理の直接の考えであり言葉で、反対することもできた。反対なら反対で、しっかり議論しろという雰囲気で、総理の指示に抵抗したとしても、その後の人事で不利益を被ることはなかったという。
今は”指示”ではなく、総理の”意向”、”お考え”。どこが司令塔なのかが曖昧で、抵抗もできない雰囲気になってるらしい。

確かに、指示の出所がはっきりしてれば反論もできるしぶつかることもできる。でも、大元がどこなのかが曖昧なまま、何か逆らえない空気だけあるのでは、反対も抵抗もやりようがない。抵抗どころか、”お考え”を先回りした忖度さえあるらしいし。

そういった空気は意図して作り出されたものなのかそうでないのか。誰もがそれぞれ何か変だと思いながら、曖昧な空気に包まれたまま進んで行った先に待ってるのが、明るい未来ならいいけど、、。漠然と怖い。


なぜいま話す気になったのかという問いには、権力は国民がコントロールしなければならない。そのためには、何が行われてるか知らなければならない、と正論を述べてた。シンプルでまっとうな言葉すぎてちょっと引いてしまいそうになるんだけど、面従腹背の技術が必要という官僚を38年やってきてそのトップに上り詰めた人がいう正論は、1周回った重みを感じる。