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ハイキュー!! 第217話 楽 感想

今回は、宮城。宮城の有望一年強化合宿に日向が乱入した時、招かれざる客状態の日向が、一体何を得ることができるのか、日向自身にもわからないままの無茶な行動だったろうから、ウシワカに「お前は何をやっている」と言われるまで、緊張感のある展開だったと思う。

コートの外から中を見る、それも意識してじっくり見る(球拾いの合間にだけど)ことの有益さに、日向が気づいて前向きな気持ちになった時から、合宿の様相はがらりと変わった気がする。
もともとコミュニケーション能力が高いと評価されてる日向だから、迷子から脱して余裕ができて、当然のように、他のメンバーとの絡みも増えてきた。
日向の眉間にシワは似合わないし、それはそれでまあ楽しいのもいいかな。まあ合宿だし、公式試合の緊張感を求めてるわけではないんだけど。

今回のタイトルは、”楽”。
バレーボールにおいて何よりの天賦の才能である身長を持ってる百沢と、効率よく燃費よくがモットーらしい国見の二人がフィーチャーされてる。
他校の、新年度は主力になるだろう1年をこれだけしっかり描くってことは、春高後も見据えての伏線になってるんだろうか。

試合のリズムを変える、ってよく聞く言葉だけど、実際何をどうやれば変わるのか、経験者じゃないからよくわからない。
日向が百沢にアドバイスしたのは、高くてゆっくりしたパスをするだけ。たったそれだけのことで、百沢自身にもパスを受ける側にも余裕が生まれて、百沢の今のとこ唯一で最強の武器である身長を生かすことができた。たったこれだけのことで、試合のリズムも変わっていくのかもしれない。穴原監督が言うように、ホント些細なことだけど、コートの外から見てるからこそ気付けたんだろうな、日向も。

自分で考えることを始めた日向は、ほんの8ヶ月ほど前には、まだ素人に毛が生えたようなものだったのだから、ここで強豪校の他の一年に警戒される選手だということを考えると妙な言い方になるかもしれないけど、バレー素人(はちょっと言い過ぎかもしれないけど)ゆえに吸収するものは多くその成長するスピードは速い、と思う。

なんだけど、今回の日向は、なんとなく釈然としない。なんでかなあ。なんだか及川さんを思わせるようなとこがあったからかなあ。

 

古館先生は、天才セッターとして設定した影山の扱いを持て余してるのかなあ、と感じることが時々ある。日向に比べて描写の量自体少ないということもあるんだけど、言葉を使った説明が少ないような気がする。
前回、宮の一言で何かに迷い始めたような影山をポーンと提示しておいて、今回は全く描写なし。今回のラストでは、伊達工との練習試合が入ってきたけど、そろそろそれぞれの合宿編も終わるということなのかな。迷子2というタイトルをつけたからには、影山の迷子状態の描写がもう少しあるんだろうとは思うけど。
でも、ユース合宿に召集がかかるようなレベルの影山が迷い始めたら、それも技術的なことではないから、そう簡単にそこから抜け出られるとは思えないんだけど、どうだろう。
中学の頃のチームメイトから受けた拒絶は、強気で肝がすわってると評されることがよくある影山が、「心底怖えよ」というほどの経験だったんだなあ、と改めて、その強烈さを考えてしまった。
中学時代の影山は、確かに王様だったのかもしれないけど、無茶振りトス、に合わせようという努力は、チームメイトの中に少しでもあったんだろうか。

そのトラウマのせいかどうかはわからないけど、及川さんが、金田一の打点の限界を伸ばしていった練習シーンはあったけど、影山がスパイカーに何かを要求するシーンは、練習でも試合でも記憶にない。


国見のスタイルってのもどうなんだろう。器用になんでもこなすのかもしれないけど、牛若クラスの実力があるというわけでもあるまいし、体力温存って意味がわからない。温存しなきゃならないくらいなら、体力つける努力しろよ、って思ってしまう。チーム競技で、誰かが余分に楽をするってことは、その分他の誰かが余計に働いてるってことだと思う。烏野みたいにギリギリの人数でやってるとこで、代えのきかないポジションとかだったら、体力温存ってのもわかるけど。
今回、日向が百沢に言った、楽してこうぜみたいな、みんなが楽になる楽ならいいけど。
国見の楽を見て、日向はそこにたどり着いたんだから国見の”楽”にも、そういう場合があるのかもしれないけど(今回の時間を作る高いパスはそうなんだろうけど)、今までの国見の描写からはその”楽”を感じない。
頭を使った効率的なプレイスタイルだから、囮だとばれてる(と本人は思ってる)場合は体力温存のため飛ばないし、勝負が見えてるならコート外まで弾かれたボールを無駄に追わない。基本的に効率よく試合を運ぶっていうのはお利口なやり方なんだろうし、真剣勝負の中で上手に手を抜くって、なかなか難しいけど時に必要なことですらあるとも思うんだけど、国見を見てると、それじゃとても間に合わない試合になった時に果たしてちゃんと働くことができるんだろうか、って疑問。

我武者らなことがイコール本気、ではないと、国見は言った。それは間違いじゃない。けど、無駄だとわかっててもがむしゃらに追い、飛ぶことで、試合のリズムを変えることがあるかもしれない。
選手それぞれいろんなスタイルはあっていいと思うけど、好きか嫌いかだったら、国見のスタイルは嫌いだ。