ポーの一族 新作を読んで、旧作を読み返してみた

ポーの一族の40年ぶりの新作が出たと知って、デジタル配信版を購入した。(掲載の月刊誌は即日完売の書店が大量にでて、重版を刷ったものの即日完売が相次いだので、急遽デジタル配信を決めたそうだ。)

さすがに40年振りとあって、絵柄はだいぶ変わってる。けど、とにかくエドガーとアランに再び会うことができる日が来るとは、全く思ってなかったから、もうすごく嬉しい。ただ嬉しい。
新作が出たということを知った時、アランを失ったエドガーのその後の話なのかと思ったんだけど、そうではなかった。少しほっとした、ような気がした。アランのいない世界は、先生がどう描いても、何か違和感を感じてしまうような気がする。

で、多分この新作を読んだ、従来からのファンのほとんどがそうしたであろうように、旧作を読み返してしまった。


ポーの一族は、もともと結構間をあけて書かれたシリーズだから、以前のシリーズも最初と最後では随分絵柄が異なってる。
「小鳥の巣」が一番人気だと今回知ったんだけど、個人的には、後期の絵柄が好きだ。


当時のシリーズと今回の新作の印象の違いは、なんだろうと考えたんだけど、新作の方はキャラクター一人一人が骨太感があって、全体の流れが、なんだか舞台みたいだ。以前のシリーズは、キャラクターの線も細くて、コマ割りの一つ一つが、映像のカットを見てるみたいだったのに、今回の作品は、舞台上で物語が演じられてるような印象を受ける。気がする。
今回読み直してみた作品の方は、まるで映画でも見てるような流れがあるけど。


アランは、本当は結構な年齢であるはずなのに、いつまでたっても、子供っぽい。なんでだろうなあ、と、当時から不思議だったんだけど、自分も結構な歳になってみて、子供の頃思ってたような大人には全然なってない。しがらみやら世間知(はあんまついてないかもしれないけど)をつけてきて、それなりに扱われるから、それなりに振舞ってる(つもり)だけど、コアな部分は子供の頃からそんなに変わってない気がする。
アランは、少年の姿のままだから、コアな部分のままに振る舞える。ただ、それだけの違いなのかもしれない、と、結構年を重ねてきたから思えるようになった気がする。


今回の作品は、ナチスドイツから英国に逃れてきた2人の姉弟(の姉の方)と、エドガーの物語みたいだ。
ナチの時代の逃げ続けるユダヤ人の物語というと、題名は忘れたけど、萩尾先生の、「ひよこ」と呼ばれる男の子の暗殺者と、ドイツから逃げてきたユダヤ人の少女、ともう1人、オスカーのお父さんのグスタフみたいな男の人(この人はラストで、ひよこを殺すことになるんだけど、どいういう設定の人かは覚えてない)が出てくる占領下のパリを舞台にした読み切り作品を思い出した。
しんしんと降る雪に全ての音が吸収されてしまったかのように、静かに淡々とながれていくお話だったと思う。モノクロではないんだけど、色が最小限に抑えられた映画みたいな漫画だった。
ナチスドイツのユダヤ人虐殺が行われていた時代の、狂った空気をそのまんま吸収してしまったイノセントな子供の物語。生と死の区別すらついてない、その境目がまだ曖昧なままの男の子は、暗殺者だ。指示された人間を殺していく。

そんなことを書いてたらなんだか読みたくなってしまった。題名検索して、探してみよう。