やせ我慢なんてもはや死語かも(とりあえず政治の世界では)

ここのとこ東京新聞では、武器輸出や、ミサイル防衛予算についての記事が一面に載っていて、いやでも戦争について何か考えざるをえないような気になってくる。
昨日の一面は、武器輸出原則解禁の政策転換をうけて、国際協力銀行が武器輸出に出資や輸出先への融資を検討してることがわかった、という内容だった。
日本、ドイツ、フランスで受注を争っているオーストラリアの潜水艦建造事業への投融資が、決まれば第一号になる可能性があるという。政府系金融機関が成功すれば、民間金融機関も積極的になるとみられている。
『日米安全保障問題に詳しい前泊博盛・沖縄国際大教授は「武器輸出の金融制度が整えば、日本経済は軍需産業への依存度を高め、経済発展のために武器産業がなくてはならないものになる。平和国家としての地位を築いた日本が、国際社会の信用を失い、結果、日本の安全保障そのものが脅かされかねない。」と話す。』(東京新聞2・22)

事業費4兆円の事業だ。別に日本が競争に参加しなくても、どこかの国が契約を取って、どっちにしろオーストラリアは潜水艦を作るのだから、儲けの分け前を狙って何が悪い?って言われれば、それはそうですね、としか言えないんだけど。
武器輸出が解禁されたからといって、日本がすぐに戦争漬けの国になるわけじゃない。だけど、10年、20年先はどうなってるだろう。


停戦しているはずのウクライナで、再び戦闘が始まっているという記事を読んだ。ロシアは、爆撃機をトルコに撃ち落とされた11月以来、シリアでの空爆を激化しているというけど、ウクライナの方でも決して手を引いたというわけではないようだ。
戦闘は、去年の夏以来の激しさになってるという。
記事によると、分離独立派との戦闘の前線で、政府軍側は塹壕を掘りながら、這うように前進。敵味方の距離はお互いに罵り合いの声が届くほどに近いのだという。

去年、安保法の審議の時に、徴兵制についても議論が少しされたことがあったけど、徴兵制なんて絶対ないという主張の根拠に、現代戦はハイテク化していて、徴兵で採用したようなにわかの兵士では、ハイテク武器を使いこなせない、というようなことがあげられることもあった。イージス艦だのステルス戦闘機だの、ミサイル防衛システムだの(とりあえず知ってる名前を挙げてみたけど、我ながら知識乏しすぎと実感)言われれば確かにそうかもしれないなと思う。けど、ウクライナでは塹壕の中から、兵士たちが機関銃の撃ち合いをしている。写真で見たイエメンの反フーシの民兵は、皆それぞれ自宅から持ってきたというようなてんでな銃火器を手にしていた。
まるで子供の頃テレビで見た映画のアナログなワンシーンのような戦場が、今この世界のどこかで繰り広げられている。
ハイテクな戦争ばかりではないんだと思う。

そう遠くない将来、そんな戦場のどこかに日本の若者が行かされる日が来るかもしれない。ドローンの遠隔操作の方がありそうかな?

儲けのシステムに戦争が組み込まれてしまったら、きっと抜け出せなくなる。原発の儲けのシステムと同じだ。でも、実はそんなものはなかったという調査結果が、先日の新聞に載ってたと思うけど、多分、戦争の儲けのシステムで儲かるのも、ほんの一握りのこの世界のどこかにいる人たちで、時給で働くような人には、負の結果しかいかない。
仮に、儲けの滴があったとしても、その代償に世界のどこかで誰かが殺されてるんだとしたら、そんな儲けに、なんの意味があるんだろう。