アイヒマンの手紙、の記事を読んで

1945年1月27日、アウシュビッツ強制収容所が、ソ連軍に解放された。
71年後の昨日、ナチの戦争犯罪者アドルフ・アイヒマンの直筆による自らの恩赦を求める手紙が公開されたという。

報道によると『書簡は、当時の大統領イツハク・ベンツビ氏に宛てられたもの。これまで未公開だったが、イスラエルのレウベン・リブリン大統領が、27日のホロコースト犠牲者を想起する国際デーの式典で公開した。
書簡には、「責任ある指導者と、私のように、指導者の手中にある単なる道具として強制的に務めさせられた人間とを分けて考える必要がある。私は責任ある指導者ではなかった。その理由から、私は自らを有罪とは思えない」とあり、刑の執行停止を訴えた。』(AFP配信Yahoo!ニュースサイトより)

アイヒマンは、ナチスドイツの親衛隊中佐として、「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)の中でユダヤ人の移送の統括者として、一旦は連合軍側に拘束されたものの、逃亡。戦後は、アルゼンチンで名前を変え逃亡生活を送っているところを1960年、イスラエルの情報機関モサドに拘束され、1961年イスラエルで4ヶ月間の裁判の末、有罪判決を受け、1962年6月1日真夜中に絞首刑を執行された。

手紙はアイヒマンの上告が棄却された日に書かれたものだという。その中では繰り返し、自分は、上の命令に従っただけで、責任ある立場ではなかったと主張してる。手紙の最後には、大統領に、どうか恩赦の権限を実行して、死刑が執行されないよう命令してくださいと乞うていた。日付は1962年5月29日。


アイヒマンの評価については、ナチのイデオロギーの賛同者として自ら職務を果たしていったのか、たんに命令に従っただけの凡庸な官僚に過ぎなかったのかについて、論争があるみたいだけど、ヘッドフォンをつけて、メガネをかけ、背広姿で座る裁判中の写真の姿の印象は、絵に描いたような小役人、だ。
アイヒマンは、ガストラックによるガス殺や、トレブリンカ収容所でのガス殺も視察し、ショックを受けたという。移送の先に何があるのか知っていて、「あの当時は『お前の父親は裏切り者だ』と言われれば、実の父親であっても殺したでしょう。私は当時、命令に忠実に従い、それを忠実に実行することに、何というべきか、精神的な満足感を見出していたのです。命令された内容はなんであれ、です。」(逮捕後のイスラエル警察の尋問で述べたという、ウィキペディアより)

ナチスの時代に、移送先のユダヤ人の運命を知っていても、自らの職務とそれを結びつけることをしなかったからこそ、職務の遂行もできたんだろう。自ら思考を放棄して、機械の一部になることで遂行した職務、なんだろう。
でも、自らの助命をこう手紙が書かれたのは、ナチの時代が終わって17年後だ。17年間、この人はどんな風に過ごしてきたんだろう。ずっと、機械の一部のように生きてきたんだろうか。