ラグビー日本代表の田中さんが言った「命がけで戦ってきた」というのは文字通りそうなのかもと思うけど

何日か前に、世耕官房副長官が安倍首相について、「首相はおそらく日本を立て直すためなら死んでもいいというくらいの思いで仕事をしてる」という発言をしたという報道を見て、引っかかってしまった。

東京新聞で連載されてる、福島第一原発の事故についての「全電源喪失の記憶」という記事の今回は、3月18日に、福島第一の3、4号機の外部電源復旧のため、送電線の切り替え作業をする作業員の線量計の警報音が鳴った時のエピソードだった。
アラームが鳴ったのをきいた地上で指揮する東電社員が、送電線に登った作業員に一時撤収を指示した時、隣にいた協力企業の現場責任者が言った。
『「電源復旧したいんじゃないのか」
「もちろんそうですけど、作業員の方の安全も考えないと」
「俺たちは死ぬ覚悟で来てんだ。あいつらがやれなかったら、他にやれる人間なんていないんだぞ。復旧したいんだったら、このまま継続してやらせろ」』(東京新聞より引用)今回のエピゾードだけでなく、この連載の中では、いろんな人たちが事故当時、文字通り命がけで事故の対応に当たっている様子が、書かれている。

東京オリンピックの招致演説で安倍首相が、福島の汚染水は完全にコントロールされてると言ったことに対して、当時批判の声があがった。
今朝の新聞記事では、『汚染水対策の切り札とされる凍土遮水壁の完成遅れや、護岸などの地下水をくみ上げて建屋に移送していることで、汚染水発生量を想定通りに抑制できておらず、タンク容量に一定の余裕を確保するためには、ボルト締め型の使用を続ける必要があると判断した。』と、あった。本来、漏えいリスクの高いボルト締め型タンクは、ずべて溶接型タンクに切り替えることになってるみたいだけど、それでは足りないから、ボルト式タンクの延命を決めた、ということらしい。
ボルト締め型タンクから溶接型への置き換え自体、やっと1割終わったばかりだという。多分、普通の人が普通に、コントロールされてると言われた時に思うだろう”コントロール”は全然されてない状態なのではないかと思う。

安保法の国会審議のときの、自衛隊位のリスクは増加しない、という論議についても、紛争地の近くでの任務が増えれば、普通の人は普通に、リスクは増えるだろうと思う。でも、首相は増えないと言った。一連の法律が成立すれば、日本全体の安全保障上のリスクは減るから。

多分、リスクが増えないという人と普通に増えるだろうと思う人は、同じことについて語ってるはずなのに、同じものを見ずに語ってるような気がする。

テレビのニュースを見ていたら、甘利大臣の問題について、高村副総裁などが、甘利大臣は、嵌められた、罠じゃないか、というような発言をしていると、報じられていた。
大臣自身の記憶が定かでないみたいだし(それについては、定かじゃないこともあるんだろうなあとは思う。なんたって多忙なんだろうし。)実際のところ、まだはっきりしてないようだから、もしかしたら罠だった、ってこともあるのかもしれない。それでも、はっきりしないこの段階での、罠かも発言にも、ものすごく嫌な違和感がある。

政治家ウォッチャーじゃないし、政治家の劣化とかはっきり言えるほど昔のことも知らない。けど、死んでもいいくらい、とか、罠を仕掛けられたとか、なんだかあまりにも言葉が軽い。軽すぎる、とは思う。