知らないことばかりで、嫌になるくらい、、

報道によると、ナチスドイツの時代にアウシュビッツで新規に到着した囚人たちから現金や貴重品を取り上げる仕事をしていた94歳の被告が、禁固4年の有罪判決を受けた。
直接ガス室での大量殺人に関わる仕事をしていたわけではないけど、当時、何が行われていたか知ることはできたし、事務仕事だとしてもそこでその仕事をすることを選んだのは、被告自身だ。ということで大量殺人の幇助罪に問われたという。

600万人以上が犠牲になったと言われるナチスドイツによるホロコースト。それまで普通にご近所さんとして暮らしていたユダヤ人が、職を奪われ、家を奪われ、ゲットーに追いやられ、絶滅収容所に移送されてく。

なんで世界の国々は、当時の人たちは、そんな虐殺を止められなかったんだろう、止めることができないにしても、どんなことを感じてたんだろう。
ホロコーストを知って以来ずっと、不思議に思ってきた。
同時に、今度同じことがあったら、きっと世界は止めることができるんだろうと、子供の頃は思っていた。

この間、ロヒンギャの人たちが、ミャンマーを逃げ出したのはいいけれど、どこの国からも受け入れてもらえず、海上で立ち往生してるという報道を読んだ時、あまりに過酷な船の状況が、絶滅収容所への移送列車の様子と重なった。

大量虐殺が行われてることを薄々感じてたかもしれない当時の人たちと、結局同じなのかもしれない。詳細を報道などでよりよく知ることができる今の方が、ホロコーストを見捨てた当時よりもっと非道いかもしれない。

人道援助も届けることができない、空爆と市街戦の続くイエメンの住民の、世界から見捨てられてる気がする、という言葉が、ずっとひっかかってる。

70年前に負けた戦争の体験者と同じ皮膚感覚で、今の平和憲法のありがたさを感じることは、多分できない。極東の端っこで、生まれた時から、安全と水はただ、が当然と思って暮らしてきたから。

安全保障関連法案の議論をいくら聞いても、安倍首相の言葉は、全然響いてこない。
自衛隊は軍隊ですと言っても、敵に捕まった時に、国際法上の捕虜としての立場にはなれない、半端な身分をどうするのか、という議論を聞いただけでも、今回の安全保障関連法案の本当のところの細かい論点はまだ出尽くしてないと思う。

けど、ただ、子供を戦争にやらない、平和を守れ、だけでいいとも思えない。

今朝の東京新聞に、内田樹さんの言葉が載ってた。
『70年前の敗戦で攻撃的な帝国主義国家日本は一夜にして平和国家にさせられた。でも、明治維新以来、琉球処分、朝鮮併合、満州建国と続いてきた暴力的で攻撃的な国民的メンテリティーは消えたわけではない。抑圧されただけだ。』という箇所があった。
積極的に暴力的だとは自分では思わないけど、見て見ぬ振りをすることも、消極的に暴力的なのかもしれない。

 

やっぱりもっと時間が必要だと思う。