とりあえず付け焼刃じゃわからないってことはわかった

イエメンでの紛争が悪化してから半月ほどになるけど、イエメン国内で一番激しい戦闘が行われてるのは、南部の都市アデンだという。
アデンは、アラビア半島で、イギリスが権勢を振るっていた頃イギリスの直轄領で、貿易の中継地点として、栄えていたらしい。その後社会主義路線をとる南イエメンとして独立すると、南イエメンの首都となり、ソ連との関係でその艦船が寄港したりするようになったらしい。(いろんなサイトの受け売り)
2000年代の初めにイエメンに3年住んでた人のブログによると、アデンは暑いし湿度は高いし、不快指数的に言うときついという。イギリス時代やソ連時代の名残で、イギリス風の建物やソ連風のアパートが結構残ってるんだけど、メンテナンスの余裕がないのか結構朽ちるままになってるらしい。

首都サヌアで、フーシ派に拘束されその後逃げ出したハディ大統領はもともとここの出身で、一旦はアデンで復権を狙い勢力を固めようとしてたらしいけど、結局逃げ出してサウジアラビアに泣きついた。

アデンの少なくても4地域では水道が止まりバケツで水汲みをしてるという。電気も1日数時間の供給。水、燃料、医療品がとにかく不足してるらしい。

空からは空爆、海上からは砲撃、地上でカラシニコフと戦車の市街戦。アデンはイエメンで、陸海空すべての攻撃にあってる唯一の都市、らしい。

昨日読んだ新聞記事の中で、住民がインタビューに答えて、「ハディ氏を批判する人はたくさんいる。アデンにこの苦難をもたらしといて、自分は去って行ったと、彼を責める人はたくさんいる。」と述べたという。
住民は、誰もハディの帰還を求めてないみたいだ。

それはそうだ。

アデンで戦ってるのは、ハディ大統領派の兵士たちなのかと思ってたら、そうでもないらしい。彼らが逃げ出してから、立ち上がって戦っているのは住民達で、ゆるい組織を形成して、もともと兵士じゃないから訓練は不足してるし武器もカラシニコフをのぞいては不足してるけど、かなり激しく戦ってるらしい。
(そういえば3年間イエメンに住んだという人のブログで、別に使うということはないけど、各家庭には普通にカラシニコフがある。と書いてあった。)

もともと南北に分かれていたし、サヌアに首都が移ってからは、何かと冷遇されてたアデンでは分離独立の動きが盛んで、ここ数年は特にエスカレートしていたらしいから、住民たちの戦いも根性が入ってるのかもしれない。

対する敵は、ほとんどが元大統領のサレハ氏に忠実な治安部隊で、フーシは少数みたいだ。フーシ派には十代の若者やそれより下の子供たちさえ加わってるという。捕まったフーシ派の若者によると、アルカイーダと戦うためと送られたというけど、アデンにはアルカイーダはいないという。サヌアのある地域は気候的には乾燥して過ごしやすいみたいだから、アデンで戦うのも大変なんだろうなと思う。
 アデンの住民たちに比べると、こちらの側は戦車や重火器も装備して、海岸沿いの道路など戦略的地域を獲得しているというけど、ローカル集団が繰り返し攻撃を行って、支配が確立したというところまではいってないらしい。なんたって、地元民。地の地を有効に使ってるみたいだ。(昨日読んだ新聞記事に、以上のようなことが書いてあった)

付け焼刃にいろんなサイトから拾った受け売りだけど、忘れないように書いとこ。
イエメンは長くオスマントルコの支配下におかれていたけど、なんたってアラビア半島の先端で遠い。で、中央の支配が他と比べるとゆるく、実態はイマーム(宗教指導者)が実権を握ってたらしい。けど、南部では様々な部族がイマームに反旗を翻し、多数の部族が群雄割拠状態だったらしい。(戦国日本みたいな?)

そんな中スエズ運河が建設されると、紅海の反対側の出入り口にあるイエメンの戦略的重要性がクローズアッップされ、紆余曲折の末、アデンはイギリスの直轄領、その周辺の南部の多数の首長国はイギリスの保護領になった。

トルコ領となったきたイエメンはイエメン王国として、第一次大戦後に独立、以来北の悲願は奪われた南部の奪還と大イエメンの復活になった。
その後、北のイエメン王国は、1960年代に共和国になったけど、実態は各地方を封建的な首長たちが治める近代的とは言い難い国家だったみたい。

南イエメンは、1967年に南イエメン人民共和国として独立、社会主義路線を取り1970年にはイエメン人民民主主義共和国に国名を変更して、ソ連の衛星国になったという。

ソ連崩壊で東側からの援助が減ってしまって経済的危機に陥った南を北が吸収合併する形で、1990年に統一。
北の大統領だったサレハが統一イエメンの初代大統領に就任。アラブの春で副大統領だったハディに大統領を譲るまで、長いこと権力を握っていた。

その後、資源は北より南に多くあるのに開発の中心は北で、南は冷遇。いろいろ不満がたまっていたらしい南は、1994年に南はアデンで再独立を宣言して内戦に突入した。
結局すぐに鎮圧、アデンは陥落して、南の再独立はならなかったものの、アラブの春以降独立派の動きも活発になっていたところへ持ってきてこの内戦。という状況らしい。

1994年の南の独立運動は、サウジアラビア資金援助をしてたらしい。もともとサウジは、イエメン統一に脅威を感じてたと書いてあったサイトもあった。 別のサイトでは、サウジが最も警戒するのはイエメンが経済的に破綻国家となることで、大量の難民の流入や経済的負担がサウジほか湾岸諸国にかかって来ることだ、とあった。
今回は、イランのアラビア半島への影響を心配するサウジがフーシ派を追い出すために仲間を募って攻撃を始めたということみたいだけど、内戦への介入自体は今回が初めてってわけじゃないんだ。1994年は、間接的援助だったみたいだけど。

イエメン内部の3つ巴4つ巴の状況に加え、周辺諸国の思惑も加わり、とりあえずわかったのは、付け焼刃じゃ、理解できないってことかも。