「平和の俳句」と八紘一宇

東京新聞が今年1月1日から一面に掲載してる「平和の俳句」。読者の投稿の中から選ばれる。一面には、毎日一句のみの掲載で、選ばれなかった多くの中から、今日は事務局が選んだ幾つかの句が、その句の書かれた背景とともに中面に掲載されていた。

兄の出征を誇らしく思っていたその昔の愛国少女だった自分の当時の姿を、「鬼」と表現した句、結婚2年8ヶ月で出征し戦死した夫の名を、アルツハイマーの病床で呼ぶ母の姿を読んだ句。

句の良し悪しとかはわからないけど、これだけは、どうしても伝えたいというそれぞれの体験を言葉にしたんだということはよくわかる。

自分を「鬼」と表現した当時の愛国少女は、空襲で家が焼け父親が大やけどを負って初めて戦争の実際を知った、と書いていた。

戦争を経験してきた人たちが、今は本当に危険な状況だと発言してるのを最近いろんなところで、よく聞くけれど、
国会で八紘一宇を、日本の建国以来の大切にしてきた価値観で、素晴らしいものだから、世界に発信してくべきなんて発言しても、大して問題にされることもなく(今のとこ)スルーされつつある状況ってのは、何かが麻痺してる状態なんじゃないかと、感じる。この人はマジで、発言してるのか?って多分、かなりの人が思ってると思うんだけど、なぜかスルー。

9条があるから、9条を守りさえすれば平和でいられるなんてのは、平和ボケの考えだと言われることがある。戦後日本が平和な状態でいることができたのは、別に国民が不断の努力で憲法9条を守ったからではなく、たまたまラッキーな位置にいることができたからだ。と、思うこともある。とりわけ、9条を守ろうなんて不断の努力をした覚えがない自分を振り返ると。

でも、今日「平和の句」を読んでいて、そこに投稿してる人の年齢も見て、もしかしたら、戦後日本が平和な状態をここまで保つことができたのは、やはりかつて戦争を体験した、頭ではなく身体の底から戦争を拒否する大勢の日本人がいたからこそなのかもしれないと、思った。
同時に、そういう世代が消えつつある今、頭で理解するしかない世代が、どこまで抵抗勢力でいられるのか、ゾッとするような不安を感じた。世代というよりそれは自分のことです。