標語って、いろいろ考えさせるなあと思う

子どもが小学生の時、夏休みの課題に選択として、標語とポスターというのがあって、うちの子供は絵は得意だから、ポスターは一人で結構描くんだけど、標語が苦手で、定番の交通安全とか防犯標語なんか、夏の終わりギリギリまでかけなくて、何回か、一緒に考えたことがある。結局当たり障りのないつまんない標語ができるんだけど、あの標語作りってなんなんだろう?って、いつも思ってた。

福島第一原発の事故で、全町避難の続く双葉町が、帰還困難区域内の道路に設置してある、原発推進の標語の看板の撤去を決めたと、新聞に載っていた。
老朽化が進み、避難のため安全点検ができないことがその理由だという。
立ち入りを禁止するゲートの向こう側に「原子力明るい未来のエネルギー」が写る写真が、記事につけられていた。この標語は、町の公募で選ばれたもので、1988年に設置されたという。

この写真を見たとき最初に心に浮かんだのは、アウシュビッツ強制収容所のゲートにかけられている標語。労働は自由をもたらす、働けば解放されるというあまりにも皮肉な標語がかかった有名なゲートだ。

未だに帰還できない多くの人がいることや、立ち入りのできない地域があること、事故はまだ終わっていないことを、知っているつもりだった。
けど、人の気配のまるでない、多分時が止まったままの町にかかる「原子力明るい未来のエネルギー」の看板の写真は、皮肉というにはあまりに重い今の現実を、見せつけてくれる気がした。
この看板を、もし町が管理できないというなら、東京電力なり県なり国なりで管理して、残すべきだろうと思った。

当時小学6年生だった、この標語を考えた男性も、撤去には反対だという。

取り返しのつかないことがこの世にはあって、この事故もその一つなんだということを、誰もいない町にかかるこの看板は教えてくれる、と思う。