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今年の抱負は、まとまりのない、からの卒業の筈なんだけど

年末に録画した”ハイキュー!!”全25話を、子供が31日から1日にかけて一気観した。ハイキュー!!で明けた我が家の平和な2015年。

今日の東京新聞の一面は、『武器購入国に資金援助 途上国向け制度検討 防衛省低利貸し出しや贈与も 安保強化 平和外交変質へ』

どっかで読んだことあるなあと思ったら2014年12月17日付の東京新聞朝刊に『国は企業向け促進策検討 武器輸出に資金援助』という記事が載っていた。

防衛省では「武器輸出は外交の手段として有効だ」(幹部)として具体策を今夏までにまとめ上げようとしている。国際社会に日本は今後何を訴えていくのか。理念なきまま、具体策を急ぐ姿勢に対しては懐疑的な意見も少なくない。』(2015・1・1東京新聞

日本の防衛関連企業が製造した武器って一言にいっても一体どんなものなのかは知らない。松下政経塾のウェブサイトで、『日本の防衛産業の特徴』として、欧米では防衛分野への依存度が50パーセントを超える防衛産業企業があるのに対し、日本では三菱重工、川崎重など『製造業界における主要企業の多くが関与しているが、各企業の防衛分野への依存度は約1%〜16%である』そうだ。

いいじゃない?依存度低くていいじゃない。高めることないじゃないと思う。50%なんて越えちゃったらもう元に戻るより、どんどん先に進むことしか考えられないでしょう。

地雷だの不発弾だのの処理に使われるような、戦争の後始末的なことに使われるものも防衛産業企業が作る製品なんだろうし、防衛産業=軍需産業でとにかく拒否、って反応を示すことはないんだろうけど。

すっごく単純なことで、だから何?て言われるかもしれないけど、武器がなければ戦えない。

 どんな武器のことを、どんな国に対して輸出することをんwんとうにした発言なのかわからないけど、「外交の手段として有効」という言葉にはどうしても抵抗を感じる。

 

 

東京新聞の今日の社説、『戦後70年のルネサンス』の中に『先の大戦を米国から強いられた「太平洋戦争」ではなく戦前の公称の「大東亜戦争」と呼ぶべきだと主張したのは日本思想史研究の故松本健一氏でした。アジア解放の自衛戦争だったからというのではありません。太平洋戦争史観では「米国との戦いに敗れた」との認識にはなっても「中国との侵略戦争に敗れた」との意識が希薄になってしまうからだというのです。』

大東亜戦争という言葉をそういう意味で使うのか。目から鱗 。確かに日本は中国にも敗けたんだ。
東京大空襲をはじめとする本土空襲、沖縄地上戦にとどめの原爆投下。
最後の年の米国にやられたっていうイメージが強くて、1937年盧溝橋事件を発端とする日中戦争は、満州事変まで遡れば1931年からの長いもので、連合国との開戦までにすでに10年、中国とは戦っていたのに、影薄かったかも。(宣戦布告がされて正式(?)に戦争に格上げ(?)されたのが1941年だったにしても)