菅原文太さんが亡くなった

先日の高倉健さんに続き、菅原文太さんが亡くなったとのニュース。

The Huffington Postの動画で菅原さんの6月12日の演説を見た。

菅原さんは1933年生まれで「戦争が始まったのは小学校2年の時」父親は40過ぎて「戦争に持ってかれて」帰ってきたのは6年後、「その後の暮らしは生涯を棒に振りました」父親の弟は、やっぱり赤紙で出征し、「フィリピンから1通の手紙が届いたっきり」今もどこでどうなったのか全くわからないとのこと。
文太さんは「戦争というのは、いろいろ政治家含めて言っているけど、言ってみ れば暴力です。」「戦争はよくないんですね、戦争は絶対にやめなきゃダメです」と言っている。

実際に戦地を体験してなくても戦争の時代の体験者の言葉は実感がこもってると思う。

もう今は亡くなったけど、私の祖父も父方母方共赤紙で出征した。父方の祖父の方は、戦争から戻ってその後そこそこ普通の人生を送ったと思う。多分戦争に行っても行かなくても同じような人生を歩んだのだろう。
それと比べると母方の祖父は、戦後無事に帰ってきたものの、空襲で仕事場を失い、その後も安定した職につけることなく、ずっと貧乏暮しで人生を終えた。もし、はないというけれど、それでも、もし戦争がなかったら、多分違った形の人生、もう少し人並み(あんま今は使わない言葉?)な暮らしができてたんじゃないかと思う。

戦争といえば、日本は1945年以来、一度も”戦争”には参加してないから(とりあえず朝鮮やベトナム戦争はおいといて)”戦争”といえば、第二次世界大戦というより太平洋線という方がしっくり来るんだけど、いずれにしろそれが最近の”戦争”になるんだろう。

自分のことについていえば、完全に”戦争”を体験的には知らない世代だ。で、「戦争はいけない、9条を守ろう、憲法を変えるな」の教育の中で育ってきた。
”戦争”=”だめ”は空気のように当たり前のものとして感じてる。戦争は外交の一手段とか、自民党の若手議員が言うのを聞くたびに、やっぱ体験してない奴の言葉は軽いね、何て思ったりもしてた。

なんだけど、日本にとっての”戦争”が終わって69年、世界のどこがで戦争は起こっていて、「戦争はいけない」と口に出すことに違和感を感じている、最近は。
平和平和と唱えるだけで平和を維持することはできないって主張も、尤もだともおもう。とは言え、「この道しかない」とか言い出しかねないような安倍首相に代表される政治家は、危険に見えて仕方ないけど。

もしかすると単に”戦争”という言葉の定義の問題なのかもしれないとも思う。

文太さんの「戦争はよくないんですね」という言葉を聞いて思うのは、体験者の実感のこもった言葉は、聞けるうちにとりあえず聞いとかなきゃいけないということ。
その数はどんどん減ってるし、違うなあと思っても聞いとかなきゃいけないと思う。今はそう感じる。