ハイキュー!! 33巻 バケモンたちの宴 感想(1)

稲荷崎戦の決着と、音駒戦のさわりが収録されてる。

稲荷崎戦ラストのラリーは、迫力があった。特に勝敗を決めたラストの攻防は、圧巻。この試合で、双子に変人速攻(最初はもどきだったと思うけど)をさせたこと、日向・影山の変人速攻のこれまでの戦いの数々も、すべてこの攻防に落とし込まれたような気さえする。

 

本誌で音駒戦を読みながら、今単行本で稲荷崎戦を読むと、改めて稲荷崎も烏野の攻撃をよく拾うチームだったなあと思う。ただ音駒と違って、稲荷崎は何でもかんでも拾ってしまうという印象はない。33巻でも大将さんの言葉で説明されているように、ブロックと連携してのレシーブという形になってるから、違和感は全く感じなかったんだと思う。

影山くんはブロックに止められるのは嫌だろうけど、読者としては何でもかんでも拾われてしまうよりは、ブロックで止められてしまう方がストレスがないかも。

 

33巻の表紙は日向のレシーブ。33巻も日向のレシーブは描かれていたから、これはこれでいいんだけど、32巻と33巻のタイトルからすると、表紙絵自体は、32と33を入れ替えた方がぴったりはまるような気がする。

宮城1年選抜合宿は、選抜に漏れた時点で、日向の身長問題に正面から向き合う展開になるのかと、ちょっと楽しみにしていたんだけど、蓋を開けたら、日向のレシーブがテーマで、当時は肩透かしを食ったような気になっていた。
稲荷崎戦が終わって、スパイクとは違う面のバレーボールの魅力にハマった日向をみて、合宿からのレシーブはここに繋がるのかと、とりあえず納得していたんだけど。
ここ最近の音駒戦の展開を見ると、日向のレシーブというテーマにはまだまだ先があったみたいだ。

 

稲荷崎戦は、稲荷崎、烏野共に長所を生かしあった試合展開だったように思う。ビッグサーバーがいて、速攻もガンガン使って、意表をつく攻撃をお互いに仕掛合う。といって、ただトリッキーな攻撃だけというわけではなく、スパイカーに対して献身的な両セッターの存在。

33巻の表題にもある”バケモンたち”は、それこそ呼吸をするようにバレーをする、初めから勝敗に興味がないというのではなく、無心に競技に没頭することで勝敗にこだわることすら忘れてしまうような瞬間がある人たちであるような気がする。

 

 

 

イエメンで子供が乗ったバスを空爆、43人死亡、、の記事を読んで

昨日の朝刊に、『バス空爆で43人が死亡』という小さな記事が載っていた。9日(木)、イエメン北部サーダで、バスなどが空爆を受け少なくても43人が死亡、61人負傷。犠牲者の多くは10歳以下の子供、という記事だった。空爆したのは、サウジアラビア主導のアラブ連合軍。前日に、サウジ南部にイエメンのフーシ派が撃ち込んだ弾道ミサイル(このミサイルの破片で住民1人が死亡したという)の発射装置を狙ったという。

別の新聞記事によると、空爆を受けたバスは、スクールバスで、遠足(?)の生徒たちがのっていたみたいだ。

連合軍側は、この空爆を合法的な軍事作戦だといい、フーシ派が「子供を盾にした」と主張してるという。

空爆されたサーダ地方は、フーシ派の伝来の地で、サウジ主導の連合軍が内戦が始まって以来激しい爆撃をしてきたという。
2015年の3月(だったと思う)に、サウジアラビア主導の連合軍側の空爆が始まった。空爆が始まって2ヶ月か3ヶ月経った頃、ニューヨークタイムズにイエメンの普通の人たちの生の声を紹介する記事が載ったことがあった。

ドアが閉まる音がするたびに怯えて目の前の大人に抱きつく子や、爆弾の音を聞くと戻してしまう子。毎晩のようにおねしょをする子供たちは珍しくないという。
お母さんの死ぬとこを見たくないから、お母さんより先に死にたいという子供。
空爆がなくて比較的安全な場所でも物資の不足は深刻で、まるで石器時代みたいな暮らしをしてる、という声もあった。

これは、3年前の声だ。
今、840万人が飢餓に直面する「世界最悪の人道危機」(国連)にあると言われるイエメン。
3年前おねしょをしていた子供たちは、どうしているんだろう。

子供を殺しておいて、「合法的な軍事行動」。子供を殺すことに釣り合う”合法”?そんなもの存在するんだろうか。

「ハウルの動く城」を見て

見るつもりはなかったんだけど、みはじめたらついつい最後まで見てしまった。「ハウルの動く城」。
過去にも何度かテレビで放送されていて、多分2回か3回は見ているんだけど、いつ見ても、結局何が言いたいのかかがよくわからないまま見終わってしまう。さすがに何度か見ているので、あらすじもわかるし、シーンごとに次はどうなるのかもわかる。で、最後はめでたしめでたしで終わるから、嫌な気分が残ることもないんだけど。


才能ある魔法使いなのに、国のために魔法を使わず自分のために魔法を使うと、サリマン先生はハウルを非難した。サリマン先生によれば、自分勝手に悪魔と契約し、感情を無くしたハウルは危険な存在だ。
確かに国にとっては危険な存在なのかもしれない。


戦艦(飛行機なんだけど、あまりにバカでかくて空飛ぶ戦艦にしか見えなかった)を見て、敵か味方かと問うソフィーに、ハウルはどちらでも同じだと答えた。

戦艦の仕事は、人を殺し街を焼くこと。敵であろうと味方であろうと、する仕事は同じだ。
人を殺し街を焼くことを肯定する人はいないだろうけど、敵の町を焼き、敵の住民を殺すことは多分仕方ない、それが戦争だから、となるんだろう、多分。
それを肯定しなければ、戦争はできない。

そう考えると確かにハウルは危険な存在なのかもしれない。
ハウルは自由を求めているだけだとソフィーは言ったけど、多分それが危険なことなんだろう。
ハウルにとっては、家族のあり方も自由だ。荒地の魔女もサリマン先生の愛犬も家族になってしまったし。


物語のひとつの軸は戦争なのかもしれない。けど、ラストが駆け足でめでたしめでたしになってしまうから、いまいちその扱いがよくわからない。
もう一回くらい見ると、また違う感想になるのかなあ。

ハイキュー!! スパイカーの道を切り開くということ(1)

ハイキュー!!」では、終始一貫して「スパイカーの道を切り開く」ことが語られている。
影山・日向の最初の試合で変人速攻が生まれたのは、影山が技術も身長もない日向のスパイクの道を切り開こうとしたのがきっかけだし、その後もスパイカーの道を開く、という表現は度々でてくる。

セッターはなぜスパイカーの道を開こうとするのか。
もちろん点を取るためなんだけど、スパイカーの道を開くことがどのように点に繋がるのかということが、物語の中で、これまで繰り返し描かれてきたと思う。

変人速攻で相手ブロックより早くジャンプの最高到達点へ。変人速攻を囮にした旭さんのパイプ攻撃。スパイカー全員でのシンクロ攻撃。

これまで、いかにブロックを躱すか、が描かれてきた。バレーボール素人としては、最初の頃は、ブロックをかわせば、点は決まるものだと思っていた。
いかにブロックと戦うか。ブロックを崩すか。
最初は日向という最強の囮だけだった烏野の武器は、旭さんのパイプ攻撃、スパイカー全員が囮でありアタッカーであるシンクロ攻撃と少しずつ増えていった。


ブロックを引っぺがす選択肢が増えると同時に、セッターである影山が烏野で時間をかけて学んできたのは、スパイカーの持ち味を120%引き出すことでそのスパイカーがブロックと勝負できる形に持ち込むことだったと思う。
日向がブロックとも戦えるように、東京合宿で夏中をかけて影山が練習したのは、止まるトス。月島は打点を上げたし、旭さんはタイミングをずらすスパイク、田中さんは超インナーとキワキワ狙いのストレートという武器を磨いてきた。


ブロックとの戦いの進歩形(?)を烏野側から描いたのが白鳥沢戦だったように思う。
白鳥沢戦では、烏野はトータルディフェンスで高校3本指スパイカーに対抗した。ブロックとフロアディフェンスが連携することで、強力なエーススパイカーのスパイクも拾うことができる(全てではないにしても)。バレーボールをやったことがない素人だけど、トータルディフェンスという考え方はわかりやすく描かれていたし、それが描かれたことで、ブロックを崩すことの意味がより理解できたように思う。
スパイクを拾いまくるのは、ただ反射神経のいい選手だからというわけではなく、ブロックと連携したポジショニングが重要だということが、初めて理屈で理解することができた気がする。
それは、攻撃側から見れば、ブロックを崩すことは、フロアディフェンスを崩すことにもつながるということだ。


スパイカーの道を切り開く、ということの意味も、囮の重要性も、トータルディフェンスという考え方を知る前と後では、だいぶ理解の程度が深まった気がする。深まると言っても、もちろん素人の理解だから、底は浅いものだとは思うけど。


音駒戦では、これまで理解してきたことが、通じないような気がして、戸惑ってしまう。

 

イエメンの新聞記事を読んで

4日(土)の朝刊に、2日(木)イエメン西部の港町ホデイダの病院近くや魚市場で空爆があり、少なくても市民26人が死亡という記事が載っていた。
ホデイダは、フーシ派の支配する港町で、国際的な支援物資の70%が搬入される主要港だという。
記事によれば、6月からサウジ主導の連合軍が、奪還作戦を始めたが、【国連の和平仲介を見極めるため、最近は戦闘がほぼ停止していた】という。
そこへ今回の攻撃。
サウジ主導の連合軍は、空爆を否定しフーシ派を非難し、フーシ派は連合軍の攻撃だと主張してるみたいだ。

6日(月)の朝刊には、サウジアラビアが「航行の安全確保の措置をした」として、紅海からの精油輸送を再開(4日から)したという記事。
先月、サウジは石油タンカーがフーシ派からミサイル攻撃を受けたとして、26日から紅海ルートの輸出を停止していた、そのルートの再開だ。航行の安全確保する措置とは、なんなんだろう。

記事によると、2日木曜の空爆で、ホデイダでは55人が死亡したという。この空爆で、【3度目の流行の兆しが出ているコレラ感染が拡大する恐れがある】と世界保健機関が3日に発表したという。


7月末頃からのイエメンの記事によれば、紅海を航行中のサウジのタンカーがフーシ派によってミサイル攻撃され、26日から紅海ルートの輸出を停止、その後8月1日にフーシ派が2週間の停戦を表明、8月2日に、イエメン西部のフーシ派が押さえる港町が空爆された。空爆の2日後に、サウジは紅海の航行を再開。空爆では55人が死亡、再びコレラ感染拡大の恐れ。
空爆とあるけど、記事を読む限りでは誰が何のために行ったのかがよくわからない。

国連の特使は、9月にはジュネーブで、フーシ派とイエメン暫定政権側を招き、停戦と和平協議を行うと発表したという。

ハイキュー!! 第313話 「諦めない」って口で言う程簡単な事じゃない  感想

影山に必要な勇気ってなんだろう。相手マッチポイントで強烈なジャンプサーブを打ち込むことができるような影山にとって勇気が必要なプレイ、戦略とはどういうものなんだろう。

2回目のTO時の(2回目のTOをいつとったのかよくわからないんだけど)烏養さんの「勇気だしてこー」は、一体どういう意味なんだろう。影山くんの「ありがとうございます」という答えは、「勇気だしてこー」の前にここには書かれていないなんらかの指示(そういうものがあったと仮定してだけど)に対してのものなのか、影山自身が何かやろうとしていることへのゴーサインと受け止めてのものなのか、それとも他に意味があるのか。気になるなあ。何だろう。

烏野の1回目のTOの後、日向レセプションからブロードに走るも、影山は旭さんのバックアタックを選択。これで1点。大地さんのレセプション、影山は田中さんを選択。これも1点。田中さんのレセプションは旭さんのレフト攻撃、これはブレークされ音駒に1点。日向にボールは上がらないまま日向アウト。
今回日向が前衛に入ってからも日向にはまだボールが上がっていない。汗で滑るという不運もあったけど。
菅原さんの前に落として日向と菅原さんの両方をけん制したボール。フライングレシーブをしてすぐに助走距離も確保し、スパイクに跳んだ日向。結局影山くんは田中さんを選択した。研磨が考えるように、万全じゃない日向に影山は興味がないからそうしたのではなく、この場面ではリエーフに対して囮として機能してると見て取ったからだ、(たぶん)。菅原さんも影山にトスを上げた。
リエーフにとって日向は囮として働いたみたいで、結局ボールは日向以外のスパイカーに上がった。
リエーフはなんで『日向が万全の体勢じゃないとわかってても どうしても「打ってくるんじゃ?」と思っちゃうんだ』ろう。研磨の作戦は日向を囮としても機能させないものであるはずで、それはリエーフも理解してるはずなのに。
なんだかよくわからないけど、烏野の反撃は音駒の試合スタイルに合わせてなんだかよくわからないうちに第2セットを取りました、って感じになるのかなあ。それとも影山の「ありがとうございます」の意味がはっきりする分かりやすい展開になるんだろうか。
「日向潰し」は、影山にとっては「速攻潰し」。影山にとって日向を使えない(のか使わないのか)のは、どういう感じなんだろう。点数的には追い込まれているはずなんだけど、相変わらず冷静な表情のままだ。

とりあえず、日向潰しに烏野の他のスパイカーは、焦るどころか、今まで以上に丁寧にチャンスボールを作ることを意識してるみたいだ。


今回のタイトル、『「諦めない」って口で言うほど簡単な事じゃない』は、中学時代日向にとって最初で最後のバレーボールの公式大会で、影山と初めて会った時、影山に言われた言葉だ。あの時、影山は日向を見て、体格差も実力差も気力だけで埋められるものじゃない、と言った。多分日向が試合でそれを思い知ることになると思ったんだろう。

でも、日向は最後の瞬間まで、試合終了の笛を吹かれるまで、諦めなかった。
23・7の状況でコートの外に大きく弾かれたボールを追って壁に激突した時、「なんでそこまで」と後輩に聞かれた日向は、「まだ負けてないから」と答えた。
口で言う程簡単な事じゃないはずの、どんな劣勢でも「諦めない事」は、日向にとっては当たり前の事なんだろう。まだ落ちてないボールを「もうだめだ」と、途中で諦める事の方が難しいのかもしれない。

翔びたい烏をカゴに入れたら、翔びたいあまりに焦りもがき、カゴの中で暴れまくりカゴをひっくり返してしまうかもしれない。研磨は、研磨が考える日向像を元にして烏野というチームのバランスを崩すことができると考えてるみたいだ。研磨の日向潰し作戦は、そこが最終ゴールなんだろう。

でも日向は、研磨が考えるような、翔びたいだけの烏じゃない。
【レシーブが無きゃスパイクも無い  ボールが落ちたらバレーは始まらない】
【点を取るのに近道が無いってことだけはしってる】

中3の最初で最後の試合の時から、試合に対する日向の姿勢は変わっていないみたいだ。バレーボールは、ボールを落とさなければ負けないというより、勝つためにはボールを落としてはいけないゲームで、ただちょっとジャンプができる素早いだけの下手くそなチビだった頃から、日向はちゃんとそれを理解していた。

久々「ナルト」を読んで思ったこと

親になったサスケのことを考える時、サスケが今のサラダよりも幼かった時に殺されたサスケの父フガクと母のミコトのことを思い出す。
NARUTO-ナルト -には、重い過去を背負ったキャラが数多く登場するけど、サスケの過去はその中でも結構ハードな部類に属すると思う。

ナルト完結の時点で、そのサスケのハードな過去、うちは一族殲滅の真相をどれほどの人たちが知っていたのかよくわからない。オビトに真相を聞かされたナルト、カカシ、ヤマトの3人が知っていたのは確実で、その他には大蛇丸も知っていたはず。復活した大蛇丸とサスケに同行して、歴代火影の話を聞いていた水月と重吾も大まかなところは理解していたんじゃないかと思う。
その以外ではどれくらいの人たちが真相を知っていたんだろう。
大戦が終わり、サスケが贖罪の旅に出た頃はどうだったんだろう。サスケ自身はうちは一族抹殺の真相が公になることは望まなかったろうと思うけど。


今は、ナルト世代はもう親となり、その子供たちの物語が始まっている。岸本先生の作品である「外伝」では、サスケの子供であるサラダですら、サスケのことをよく知らないと描かれていた。
自分の祖父母が叔父に殺されたという事実はサラダにとってはショックだろうと思うけど、それを命じたのが木ノ葉の里だという事実はより衝撃が強いかもしれない。
と言って最後のうちはになるかもしれないサラダが、一生うちは事件の真相を知らないままではいられないと思う。

サスケは、復活した大蛇丸に、「子供ではいられない」と言い、「すべてを知り自分で考え答えを出し 己の意志と眼で成すべきことを見据えたい」と言った。サスケが歴代火影たちに聞きたかったのは、里の興りからのありのままの木ノ葉の里とうちは一族の姿、たとえそれがうちはの者であるサスケにとって嬉しくない事実だとしても、だ。

サスケは、過去を自分にとって好ましい姿、都合の良い姿に捻じ曲げることなく、たとえ痛みを伴うものであってもそのままの姿で受け止めることができる人だと思う。
でも多分最初からそうだったというわけではなく、うちは盲信時代もあった。だからこそ、もし、今、サラダがうちはの真相を知らないとすれば、うちはサイド、里サイドのどちらのサイドにも偏ることなく、うちは一族の滅亡の真実を受け止めることができるほど十分に大人になるまでは、サスケもサクラもサラダに真相を話すことはないような気がする。(そもそもサクラがどの程度まで知ってるのかもよくわからない。もう少し注意深く「ナルト」を読めばいいのかもしれないけど)

 

サクラやサラダがうちはの真相を知っていようがいまいが、物語の大筋には関係ないんだろうけど、どうしても気になってしまう。
サスケは個人的な感情の問題については、多分なんでも一人で抱え込む傾向のある人だと思う。
サスケにとっては、サクラやサラダがうちはの真相を知っていようがいまいが、そばにいてくれるだけで、多分今も心の奥底に抱えているだろう深い悲しみ(父母の死に対してサスケが十分に悲しむことができたのか未だによくわからない)が癒されるんだろうとは思うけど。